古くからさまざまなルーツを持つ人々が島に入り込み、文化を発展させてきた日本の縮図「佐渡」。順徳上皇や世阿弥などが流された島として、はたまた金銀が採掘できる島として、歴史の授業で習った記憶のある方も多いのではないでしょうか。
そんな「佐渡島(世界遺産推薦の名称を指す場合、佐渡島と書いて「さど」と読みます)の金山」が今、世界遺産に推薦されています。もし正式に採択されれば、新潟県で初の世界遺産となることから注目が集まっています。
マネーまるわかりは、「ちょっと聞いてみたい、知って得するお金の豆知識」をご紹介するメディア! そこで今回は、世界遺産登録に向けて改めて知っておきたい、佐渡の「お金」にまつわる話から歴史まで、佐渡の魅力をよく知る「佐渡金銀山ガイダンス施設【きらりうむ佐渡】」の世界遺産登録推進係・石川さんと川邊さんにお話を伺いました。
今だから知っておきたい、佐渡にまつわる基礎知識
人口約51,000人、東京23区の約1.5倍の面積を持ち、沖縄に次ぐ日本最大級の離島(※1)・佐渡。
以前から小学生の修学旅行先として人気があり、特に5~7月にかけては子どもたちでにぎわう島ですが、春や秋には美しい自然を求めて団体ツアーやカップルの観光客も数多く訪れます。まずは、佐渡にまつわる基本的な情報から見ていきましょう。
(※1)本州などの主要4島、北方領土を除く
最速1時間7分! 佐渡までの行き方をチェック
佐渡には現在、新潟県内にある「新潟港」「直江津港」の2つの港から船で訪れることができます。
船の種類は大きく分けて2つあり、それぞれ特徴が異なるので用途・楽しみ方に合わせて選ぶと良いでしょう。
船の種類 | 利用できる港 | 所要時間 (目安) |
定員 | 特徴 |
---|---|---|---|---|
カーフェリー | 新潟港⇔両津港 | 2時間30分 | 1,500人 | 低価格 車を乗せることができる |
ジェットフォイル | 新潟港⇔両津港 直江津港⇔小木港 |
1時間7~15分 | 250人 | 速い 揺れが少ない |
県外から訪れる場合、関東・東北の方は「新潟港」、北陸・中部・関西の方は「直江津港」を利用するのがおすすめです。
行きと帰りで異なる航路を利用することも可能なので、乗り比べをしてみるのも楽しいかもしれません。
佐渡観光をさらっとおさらい
面積が大きく、自然豊かな佐渡。見どころはたくさんありますが、「佐渡金山」の散策や国の天然記念物に指定された「トキ」の観察、「たらい舟」の乗船体験は外せません。
佐渡の伝統的な工芸「無名異焼」や「裂き織り(さきおり)」をつくる体験も人気です。裂き織り体験では、アクセサリーやコースターなどをつくることができます。また、佐渡をよく知る世界遺産登録推進係のお二人にも、佐渡のおすすめのスポットや楽しみ方を聞いてみました。
佐渡の主な産業は、農業と漁業。
農産物は、りんごやすいか、柿、ル レクチェ(洋梨)、みかんなどの果物が有名です。なかでも佐渡のみかんは、日本でとれる最北のみかんと言われています。また、佐渡はお米の名産地でもあることから、佐渡のお米で作られた日本酒はかかせません! 酒造巡りをしながら自分のお気に入りのお酒を見つけてみるのも楽しいかもしれませんね。
一方、海に囲まれた佐渡には海の幸もたくさんあります! 南蛮エビ(甘エビ)やズワイガニ、牡蠣など、さまざまな海産物を楽しむことができます。海を眺めながら新鮮な海の幸を頬張れる、そんな贅沢な休日を過ごすことができるのも佐渡の魅力のひとつです。
佐渡が「日本の縮図」と呼ばれるワケ
「日本の縮図」と表現される佐渡ですが、その理由は主に佐渡の地理と歴史から垣間見ることができます。
理由1:地理
島の成り立ちまで遡り、今から3000万年ほど前のこと。そのころはまだ、佐渡を含めた日本列島全体が現在のユーラシア大陸の一部でした。
しかし激しい火山活動が起こり始めたことにより、大陸の端に亀裂が入った後完全に切り離され、そこに海水が流れ込んだことで日本海が誕生しました。佐渡は一度海の底に沈みましたが何度も隆起を繰り返したことで、現在のような島になったのです。
こうした地球の営みによってできた佐渡ですが、佐渡沖で寒流と暖流が交差している影響により、新潟本土に比べて夏は涼しく、冬は暖かいといわれています。
さらに、植物の分布境界線(※2)である北緯38度線が島の中央を通過しているため、島の北では寒帯の植物が、南では温帯の植物が合わせて1,700種近く自生しており、多様な生態系を保っています。
(※2)分布境界線…特に生物地理学において、多くの生物の分布の境界となる境界線のことを指します。
日本の縮図といわれる所以でもある、こういった条件が揃う珍しい島であるため、本来温暖な地域でとれるみかんと、寒い地域でとれるりんごの両方を収穫することが可能となるのです。
理由2:歴史
ある時代には流罪の島として、ある時代には金銀が採掘できる島として、時代によって目的は違えど佐渡は長い歴史の中で多くの人々が訪れてきました。その結果、日本各地の文化が融合し、独自の変化を遂げてきたのです。
佐渡の特徴的な3つの文化と時代を紹介します。
文化(エリア) | 時代 | 特徴 |
---|---|---|
貴族文化 (国仲エリア) |
奈良時代~鎌倉時代 | 流罪によって流された貴族や知識人たちによって 伝えられた京の貴族文化 (例)加茂神社能舞台、長谷寺など |
武家文化 (相川エリア) |
江戸時代 | 鉱山の発展により、奉行や役人たちが江戸から 持ち込んだ武家文化 (例)佐渡金山、佐渡奉行所跡など |
町人文化 (小木エリア) |
江戸時代~明治時代初期 | 北前船によって商人や船乗りたちが運んできた 町人文化 (例)小木港、宿根木など |
<貴族文化>
奈良時代〜鎌倉時代にかけて、政権交代で流罪となった順徳上皇や日蓮聖人、世阿弥などの知識階級の流人たちが、佐渡に流れ着いたことで築かれたのが「貴族文化」です。主に中央の平野部・国仲エリアで栄えました。襖絵師、庭師、医師や、槍の道場を開く者など、彼らはさまざまな方法で自活をするようになりました。
<武家文化>
それから時を経て1600年代の江戸時代に入ると、徳川家康は以前から「金銀が採れる島」だと聞いていた佐渡で、本格的に金銀の採掘を進めます。それによって、佐渡金銀山は活気づきました。
佐渡に奉行所をつくるために江戸から赴任してきた奉行や役人たちによって形成された「武家文化」が、相川エリアで築かれるようになります。
このとき、石見銀山で知られる地域から、佐渡奉行となった大久保長安が漁師たちを連れてきたことで、武家文化の相川エリアから少し北に漁師集団が住む村も生まれたのだそう。
<町人文化>
鉱山の発展で佐渡へ一気にさまざまな文化が入り混じって発展したのち、北海道と大阪を往復する北前船の寄港地となった島南の小木エリア。「町人文化」は北前船の商人や船乗りたちによって生まれました。
こうして、同じ島の中にあっても時代ごとに全くルーツが異なる人たちが集まってきたため、エリアによって方言やイントネーションの違いが今でも残っているのだそう。
世界遺産に推薦! 6000年の金の歴史をつなぐ「佐渡島の金山」
佐渡発展の大きなきっかけとなった「佐渡金山」。採掘した金は小判に形成したのち江戸に納められ、徳川幕府の財政を支えてきました。400年という採掘の歴史の間に約78トンの金が生産され、そのうちの約41トンが江戸時代に採れたものだと言われています。
佐渡でつくられた小判の裏には「佐」という文字が印字されていたそう。しかし、現在もその形を成しているものは国内外でも数枚しか確認されておらず大変貴重なものだそうです。
そんな日本最大の金の採掘場であった「佐渡島の金山」が2022年現在、国内推薦を受け、世界遺産登録に向けた挑戦をしています。
意外と知らない「世界遺産」の登録基準とは
人類にとっての共通の宝・財産を後世に伝えていくため、国際的に保護する目的のもと、1972年にユネスコで条約が制定されてはじまった「世界遺産」。
「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」の3種類があり、「佐渡島の金山」は人類が生み出した素晴らしい建造物や遺跡などが該当する「文化遺産」の候補になっています。
世界遺産条約に参加する国が、それぞれの国で世界遺産候補を決めてユネスコに推薦し、専門機関の調査を経て、実際に世界遺産に登録されるかどうかが決まります。
「佐渡島の金山」における普遍的な価値とは
今回、「佐渡島の金山」として世界遺産の登録範囲になっているのは、「西三川砂金山」と「相川鶴子(つるし)金銀山」の2か所です。対象時期を「戦国時代末〜江戸時代」に絞り、採掘から生産まで一貫して手工業で行ってきたことに焦点を当てています。
その中でも特筆すべき点として、
- 鉱山の中にある「山金」と砂の中にある「砂金」の両方が採れる島は、国内外でも佐渡のみであるということ
- 徳川幕府の運営管理の下、一貫して続けてきた独自の伝統的な手工業の技術によって17世紀には世界に誇る質・量の金を生産したこと
これらの上記2つが挙げられます。
「ゴールドラッシュ」という言葉が存在するようにアメリカやヨーロッパでも同じく金を採掘することができましたが、技術革新により早くから機械化されたことで、古い技術は取って替えられ、金の採掘にまつわる長い歴史には空白の期間が生まれてしまいました。
しかし、佐渡では手工業の歴史が物証として残存していることで、6000年にわたる金の採掘に関する歴史の空白部分を埋めることができるのです。そういった事実が、世界遺産登録の基準となる「顕著な普遍的価値」に相当するとして、今回推薦に至ったのです。
また、「佐渡島の金山」の構成資産には、「笹川集落」「道遊の割戸」「佐渡奉行所跡」をはじめとした遺跡や鉱山なども含まれているので、佐渡に訪れる際には金銀山とセットで足を運ぶのがおすすめです。
実はいまも金が採れるって本当?
現在は閉山され、昔のような金の採掘はされていない佐渡の金銀山。しかし、今でも相川エリアの海岸にある浜石からは、金が採れる可能性があるのだそう。
ただし、金は1トンの鉱石に対し平均で5グラムほどしか含まれていないため、目視で見つけるには難易度がかなり高く、自力での採掘は難しいでしょう。
佐渡の金銀山で一獲千金は難しいから……第四北越銀行がオススメする「資産形成」
今の時代、江戸時代のように佐渡の金銀山で金を掘ってお金を稼ぐのも夢があっていいですよね。ただ、時間的にも体力的にもあまり効率がいい資産形成とは言えません。しかし実は、金が身近に採れなくなった今でも、国内外の株式や債券と同じように「金」を対象とした投資商品があるということを知っていましたか?
第四北越銀行では現在、純金積立や金現物の取引はできませんが、投資信託のラインアップに「金」を一部投資対象にしたバランス型ファンドがあります。
人生100年時代と言われる現代、資産運用をうまく活用してコツコツと自分の金山を育ててみてはいかがでしょうか。